ウィル・アイアトンさんは、水原一平さんの代わりに大谷翔平選手の新通訳となり、何者?と注目を集めています。
そんなウィル・アイアトンさんは、元WBCフィリピン代表、元吉本興業所属など驚くべき経歴を持っています。
それでは、詳しくみていきましょう!
↓ウィル・アイアトンさんの家族構成もチェック↓
ウィル・アイアトン13個の経歴まとめ!
ウィル・アイアトンの経歴|インターナショナルスクールに転校
ウィル・アイアトンさんは東京で生まれ、公立の学校に通っていました。
途中でインターナショナルスクールに転校し、15歳までは日本で育ちました。
将来の夢は、アメリカ・メジャーリーグで野球をすることでした。
ウィル・アイアトンの経歴|2007年にミッドパシフィックインスティテュートに進学
ウィル・アイアトンさんはアメリカ・メジャーリーグで野球をするという夢を叶えるべく、ハワイへ留学し、ミッドパシフィックインスティテュートに進学します。
ミッドパシフィックインスティテュートは、学業とスポーツのバランスがとれているハワイの中では3本の指に入るほどの有名な進学校です。
ウィル・アイアトンさんは、アメリカ本土へ行く前のステップとしてハワイの高校を選んだことを明かしています。
ミッドパシフィックインスティテュートでは、レギュラーとしてピッチャーやサードのポジションで活躍していました。
2008年の高校2年生からは、毎年夏休みにサマー・ベースボール・リーグに参加していました。
勉強に野球に、文武両道な学生生活を送っていたのですね!
ウィル・アイアトンの経歴|2010年にオクシデンタル大学・メンロー大学に進学
高校卒業後はカリフォルニア州にあるオクシデンタル大学とメンロー大学に進学しています。
オクシデンタル大学といえば、アメリカ元大統領のオバマさんも2年間在籍したことで有名なカリフォルニア州の伝統校ですね。
ウィル・アイアトンさんは、2011年の大学3年生のときに大学3年次にスポーツ部の中で成績が高い者に贈られる「トップ・アカデミック・アスリート賞」を受賞しています。
また、2012年の大学4年生のときには、大学全スポーツ部の中で最も成績が高い者に贈られる「コリス・スチーア賞」を受賞しています。
ウィル・アイアトンさんは勉強を頑張らないと、ご両親に日本に連れ戻されてしまうため、大好きな野球をやるために勉強も必死で頑張っていたとのことです。
ここまで頑張ることができたのは、野球のためだったのですね。
ウィル・アイアトンさんはオクシデンタル大学で素晴らしい成績を残しながら、カリフォルニア州最高峰といわれるビジネススクールであるメンロー大学にも通っていました。
メンロー大学では国際ビジネスを専攻し、卒業生の中で再優秀賞を受賞し、スピーチを行ったとメンロー大学の公式インスタグラムに掲載されています。
オクシデンタル大学とメンロー大学に通い、どちらも成績優秀で卒業し、野球でも活躍していたとは素晴らしいですね!
ウィル・アイアトンの経歴|2012年にWBCフィリピン代表として出場
2012年の大学卒業と同時に、アジア・カップにフィリピン代表として出場し、その後WBCにもフィリピン代表として出場しています。
2012年のWBC予選リーグでは、2試合戦いました。
結果は予選敗退となりましたが、夢に向かって前進しました。
写真は一番右手前にいるのがウィル・アイアトンさんです。夢に向かって頑張るウィル・アイアトンさんの笑顔がとても素敵ですね!
ウィル・アイアトンの経歴|2013年にテキサス・レンジャーズとマイナー契約
WBC終了後の2013年にはテキサス・レンジャーズのトライアウトを受けて合格し、同年2月~9月までマイナー契約を結び、二塁・三塁投手として活躍しました。
チームには日本人選手である尾中博俊(おなか・ひろとし)さんも在籍しており、非常に心強かったと語っています。
しかし、限界を感じ、24歳にして現役を引退してしまいます。
大学時代賞を受賞するほどの優秀な選手でも、メジャーリーグは難しかったということで、それほど狭き門だということが分かりますね。
ウィル・アイアトンの経歴|2014年に”A Passion to Pitch”の通訳とアシスタント
メジャーリーグを諦めたウィル・アイアトンさんは、2014年にテキサス・レンジャーズとニューヨーク・ヤンキースでインターンシップを行いました。
田中将大選手がニューヨーク・ヤンキースに入団した2014年、ニューヨークタイムズが通訳を探しており、ウィル・アイアトンさんが目に留まりました。
同年2月~4月には田中将大選手のニューヨーク・タイムスの記事を書き、その記事がきっかけとなってニューヨーク・ヤンキースに入団し、田中将大選手の通訳とアシスタントを務めました。
当時はまだアメリカでは無名であった田中将大さんを紹介する記事を書いたことがきっかけで、ニューヨーク・ヤンキースの職員になったのですね。
ウィル・アイアトンの経歴|2015年にWBCフィリピン代表チームのGM
ウィル・アイアトンさんは、2015年に第4回WBCのフィリピン代表チームのGM(ゼネラルマネージャー)を務めました。
GMといえば、全権を任されているため、今後のメジャーリーグで働くための良い経験になったことと思います。
ウィル・アイアトンの経歴|2015年に株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシに入社
ウィル・アイアトンさんは、2015年に株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーに入社しています。
吉本興業には現役や元メジャーリーガーが多数在籍しており、ウィル・アイアトンさんはスポーツマネジメント業務を担当していました。
ウィル・アイアトンの経歴|2016年~2018年に前田健太選手の通訳
2016年にドジャース球団に所属し、前田健太選手の通訳として専属契約を結び、通訳としてだけでなく、ブルペンでのキャッチャー役やスケジュール管理も担っていました。
ウィル・アイアトンさんはもちまえの明るさで、前田健太選手とはもちろんチームメイトからも人気を集めていました。
ウィリーという愛称で親しまれ、前田健太選手のインスタグラムでは練習以外でもウィル・アイアトンさんと一緒に楽しむ様子が多数掲載されていたため、見ていきましょう。
とても仲良しな様子が伝わってきますよね。
このように、前田健太選手のインスタグラムには、ウィル・アイアトンさんがたくさん登場しています。
ウィル・アイアトンさんは、ドジャース時代の前田健太選手を支えた1人なのですね!
ウィル・アイアトンの経歴|2018年~2019年に育成コーチ・データコーチ
2018年に一旦通訳の仕事を離れ、ドジャースのAAA傘下チームの育成コーチに就任し、データ分析やビデオコーディネーターを学びます。
2019年には、マイナーリーグのデータコーチに就任し、データ分析を基に選手たちのサポートを続けました。
ウィル・アイアトンの経歴|2020年から2021年にパフォーマンス・オペレーション・コーディネーター
2020年にはドジャースの編成部に入り、パフォーマンス・オペレーション・コーディネーターに昇格しました。
主にデータ分析を基に選手の育成や能力開発を担当し、オフシーズンにはスカウティングも行っていました。
ウィル・アイアトンの経歴|2022年にパフォーマンス・オペレーション・マネージャー
2022年には、パフォーマンス・オペレーション・マネージャーに昇格します。
パフォーマンス・オペレーション・マネージャーとは、ドジャースの編成部長であるフリードマンさんがウィル・アイアトンさんのために特別に創設した役職です。
それだけウィル・アイアトンさんはドジャースに必要な人材であり、特別な存在であったことが分かりますね。
ウィル・アイアトンの経歴|2024年3月から大谷翔平の通訳
2024年3月から水原一平さんに代わり、大谷翔平選手の通訳を務めています。
ウィル・アイアトンさんについて、ドジャースのロバーツ監督は通訳だけでなく、運転手やメディア対応、メンタルサポートや食事の手配、キャッチボールの練習相手などなんでもやってくれる”スイス・アーミーナイフ”のようだと話していました。
そんな素晴らしいウィル・アイアトンさんは通訳としてだけでなく、さまざまな面で大谷翔平選手を支え、良いパートナーになるだろうと著者は考えます。
ウィル・アイアトンが日本語を話せる理由
ウィル・アイアトンさんは日本語がペラペラですが、その理由は15歳まで日本で生活していたからです。
ウィル・アイアトンさんは日米のハーフである父親とフィリピン人の母親から生まれ、15歳まで東京都で育ちました。
母親はウィル・アイアトンさんに日本語を学んでほしいという思いがあり、インターナショナルスクールに転校するまでは公立の学校に通っていました。
公立の学校ということはすべて日本語で授業を受けていたことになるため、当時から相当日本語がペラペラだったのではないかと考えられますね。
ウィル・アイアトンはフィリピン代表でWBC出場
先ほどご紹介したように、ウィル・アイアトンさんは2012年にWBCフィリピン代表の仲間入りを果たしました。
ウィル・アイアトンさんの母親がフィリピン人であるため、フィリピンでトライアウトを行うことを知って挑戦し、見事フィリピン代表となりました。
2012年のWBC予選リーグでは、台湾とニュージーランドと戦い、打席にも立っています。
ウィル・アイアトンさんは残念ながら1打数無安打に終わり、結果は予選敗退となりましたが、夢に向けての大きな一歩となりました。
ウィル・アイアトンは元吉本所属!
先ほどご紹介したように、ウィル・アイアトンさんは、2015年に株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーに入社しています。
まさかよしもとクリエイティブ・エージェンシーに入社していたとは、意外な経歴ですね!
吉本興業には石井一久さんや斉藤隆さんなどの元メジャーリーガーや現役のメジャーリーガーが多数在籍しており、ウィル・アイアトンさんはスポーツマネジメント業務を担当していました。
英語を話せるだけでなく、野球にも精通しているため、選手にとって素晴らしいサポーターになったことと考えられます。
実はウィル・アイアトンさんのお兄さんは吉本USAのCEOを務めているため、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに入社したのは、お兄さんの影響もあったのではないかと考えられます。
ウィル・アイアトンのプロフィール
ウィル・アイアトンのプロフィールを見ていきましょう。
名前 | ウィル・アイアトン(Will Ireton) |
生年月日 | 1988年12月21日 |
年齢 | 35歳(2024年3月時点) |
身長 | 178㎝ |
体重 | 74㎏ |
出身地 | 東京都 |
ウィル・アイアトンさんは日米ハーフの父親とフィリピン人の母親から生まれていますが、出身地は東京都で国籍も日本です。
5人兄弟(男4人・女1人)であることがわかっています。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました!まとめです!
まとめ
・2024年3月に大谷翔平選手の新通訳に就任したウィル・アイアトンさんが注目を集めている
・ウィル・アイアトンさんは15歳まで東京都で生活しており、日本語がペラペラである
・ウィル・アイアトンさんは元WBCフィリピン代表である
・ウィル・アイアトンさんは田中将大選手や前田健太選手の元通訳である
・ウィル・アイアトンさんは元吉本所属の意外な経歴がある
これからもウィル・アイアトンさんから目が離せません!
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